佐野清左衛門 頼次の妾を助ける
※読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
頼次ノ妾アリ 妻女嫉妬故 城中ニ置ル々コト叶ハズ 城下ノ士屋敷ニ置ケリ 佐野清左衛門ト云士ヲ付ケ置ル 頼次ノ御前ハ諏訪ノ頼重ノ妹ナリ 御前此事ヲ聞キ頼重ヲ頼 人數ヲ借リ彼妾ヲ打ントス 諏訪方ヨリ士五十来ルト云 或夜 夜更テ五十ノ士 彼妾ノ館ヘ打入ル 清左衛門起合枕元ニ置ケル三尺余ノ刀ヲ抜 内マデ切入ケル 諏訪ノ士共ヲ切出シ 廣庭ニテ暫戦 八九人手ノ下ニ切伏 數多ニ手ヲ負セ 門外ヘ切リ捲リ 暫戦時右ノ腕ヲ被打落 其故刀ヲ左ニ持 内ヘ走入 彼妾ヲ肩ニ引懸ケ速ニ立退 此宅地ハ後ニハ月岡庄兵衛居ケリ 圓敬若年ノ時 彼清左衛門ヲ度々見ラレケル由也 清左衛門可被取立ノ所ニ カク片輪成上ハ別ノ望モナシトテ在郷ヘ引込 田地ヲ作ラセ居ケリ 大男奇妙ニ スサ間敷面成ケリト云 右是迄ハ高遠城主之大筋 保科氏之有増也
注:此屋敷ハ今 我藩士 浅井清左衛門ノ家也
管理人訳:
高遠頼次には妾があった。高遠頼次の正妻は嫉妬深く、この妾は高遠の城にいることができなかった。そこで城下の武士の屋敷に住んでいた。「佐野清左衛門」という武士を護衛に付けておいた。高遠頼次の正妻は諏訪頼重の妹である。この御前は、妾が城下に住んでいることを聞き、諏訪頼重を頼って人を借り、この妾を殺そうとした。諏訪から50人の武士が来たという。
ある夜、夜更けに50人の武士がこの妾の館へ打ち入った。清左衛門は枕元に置いてあった三尺(90cmほど)の刀を抜いて、屋敷の中まで切り入った。諏訪の者たちを庭へ切り出し、しばらく戦った。8、9人を切り倒し、多くの者に傷を負わせ、門の外へ切りまくった。しばらくして右の腕を切り落とされた。そこで刀を左に持ち替え、屋敷の中へ走り、妾を肩に載せ立ち去った。
この屋敷は後に「月岡庄兵衛」が住んだ。「円敬」は若い頃、この佐野清左衛門を度々見かけたという。清左衛門は取り立てられて当然だったが「この様な片腕になってしまったので、特に望みもありません」と言って自分の領地へ引き込み、田んぼを作っていたという。大男で、奇妙な凄まじい顔をしていたという。
注:この屋敷は現在(1819年・文政2年)我らの藩士である「浅井清左衛門」の家のことである。
以上、ここまでは高遠城主の大まかな流れと、保科氏のあらましである。