『小平物語』小平向右門尉正清 入道常慶 貞享3年 [1686]
※読みやすい様に管理人が箇条書き・()などを加えています。
第十七・三州長篠にて両角討死之事
天正三年 亥 仲夏 長篠え 諏訪伊那衆 不残立なり
此時 両角を始め 一門討死大勢なり
長坂長閑齋組ニテ 道三も深手を負ひ 退くなり
此節は 生たる者皆 我等迄も手を負い 引き退くなり
某二十才の時ト 父式部の咄なり
山浦 澁の湯にて 祖父道三も平癒なり
此節七十二才 其後軍立無之となり
管理人訳:
17.「長篠城にて 両角惣兵衛 討死」
1575年 天正3年 亥の年 5月、伊那衆・諏訪衆は、残らず長篠へ出陣した。
この時、両角をはじめ、一門の多くが討死した。
長坂長閑齋の軍で、小平道三も深手を負い、退いた。
この時は、生き残った者も皆、我らも傷を負い、退いた。
自分が20歳の時だ、と、父 式部が話した。
小平道三は 山浦の「澁の湯」で湯治した。
この時、道三は72歳。このあと戦に出る事はなかった。
管理人考:
・仲夏=ちゅうか=夏の三ヶ月の真ん中の月=旧暦(陰暦)でいう5月。