『南信名族誌』大日本郷土沿革史編纂所 昭和14年 [1939]
※読みやすい様に管理人が箇条書き・()などを加えています。
福澤 泉
長岡
遠祖は 源氏 木曽次郎義仲 [1154-1184] より出で 其庶子 千代丸と称す、
伊那郡羽場城主 柴藤三郎長綱の二女を娶り 浅井家を相続す、
浅井次郎義清と改む、三子有り
義清は京軍に向ひて討死す、
父死後 三子漂白の身となり 母方の伯父
或日 知久澤山の絶頂に至り 南の一 吹澤と云う地を望み
故に姓を福澤と改め、
兄 義貞は長岡の里に居を定む福澤氏の大祖なり、
次弟 義行氏は赤穂村の福岡に居を占め、
三弟 義國は鎌倉に仕ふ、
承久 [ 1219-1221] より以来三十代を経て福澤暇(いとま?)となり、當主 福澤泉に至る。此間 庄屋、名主、長百姓等 勤めたる名家なり。
管理人考:
・伯父=おじ=父母の兄。または伯母(父母の姉)の夫。
・食客=しょっかく=一家に客の待遇で養われている人。
・権大僧都=ごんのだいそうづ=僧の位のひとつ。
・阿闍梨=あじゃり・あざり=法を教授する師匠や僧侶のこと。
・法師=人の師となるほどの学識・経験を備えた僧侶に対する敬称。