凍死した飛脚(江戸)


『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆



 萱野の展望台の峰つづきの北端に高尾山、高さ二百五十 [757.5m] 、村の人たちは ”たこうど” と呼んでいる。[p55]

この ”たこうど” に登る道に、ここを通る人が必ず、小枝を折って手向けていく場所がある。さていつの昔のことだろうか。箕輪から発った飛脚が、幾人かの手紙や小荷物を引き受けて、 ”たこうど” の山をこえて藤沢に出て、片倉から金沢峠をこえて江戸へでも行く筈だったろうか。雪の中を強行していくうちに、とうとう雪の吹きだまりに落ちこんで動けなくなり、人々から託された荷をしっかり抱いたまま凍死してしまった。雪が消えて、山越えをする人によってやっと発見されたのは春近くなってからのことだった。 

 いつの頃だったか、又名も忘られたこの人を哀れになぐさめる人々が、誰となく、その場所に小枝を折っては一寸挨拶して通る、あわれにもゆかしい場所がある。[p56]