高遠氏 諏訪から系図を盗む
※読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
此城主 以為(オモヘラ)ク 我ハ元諏訪ノ惣領筋タリ 系図ヲ取度思ワレ 色々ニ方便セラレケル時 彌勒(みろく)之者ニ一妙ト云法華宗ノ僧 常ニ君邊ニ居ケリ 此事ヲ聞テ曰ク 我取テ可奉ト云テ 即行ク
金子ノ城ニ至リ 諏訪ノ様子ヲヨク見澄シ 七月七日ノ来ヲ待 七月七日ハ重寳共ヲ取出 蟲干ヲスル 然ニ其朝ニ至リ 諏訪ノ城内ヘ行 彼是見物ノ後 彼巻物ヲ取テ逃ル 守者 是ヲ見付 追挂(掛) 伊勢並ト云所マテ追詰ル 此所ハ諏訪高遠ノ界也
是迄高遠ヨリモ 士三十騎出ケレドモ 諏方大勢故 出合コト不叶 然故彼僧自殺スル
諏方ノ者共 改ニ不及 文書ハ道ニゾ落シツラン 屍ニ手ヲ指事ナカレト云テ立帰ル 死人ヲイヘバ(イイロヱバ) 社内ノ勤不成故也
其後 高遠者立依見レバ 脇ノ下ヲ貫キ死ケリ 不便ノ事ナリト云テ 疵口ヲ見レバ怪キ物 少見ユルヨリ ヨクヨク尋見レバ一巻ノ書アリ 是則 系図也 高遠ノ重寳トナリ代代傳ル 此僧ノ着ケル袈裟衣 血付ナガラ有之 是亦重寳ノ一也ト云
仁科殿籠城ノ節 信忠 是ヲ攻落ス 此時重寳共 右ノ書モ亡失セリ
管理人訳:
(頼次から3代前の)この城主は「自分はもともと諏訪の惣領の血筋である。その系図を手に入れたい」と考えた。いろんな方面に語っていると、常に城主の側にいた法華宗の僧侶で「一妙」という者がこの事を聞いて「私が取って来て差し上げましょう」と言い、出発した。
金子城までやって来て諏訪の様子をよく観察し、7月7日を待った。7月7日は家宝を出し虫干しをする日である。その日の朝、諏訪の城内へ行き、見物の後その巻物を取って逃げた。警備の者がこれを見つけ追いかけ、「伊勢並」という所まで追い詰めた。ここは諏訪と高遠の境である。
(この高遠と諏訪の堺まで)高遠側からも30騎の武士を出したが、諏訪勢が多勢であったため、「一妙」と出会う事ができず、この僧侶は自殺した。
諏訪の者たちは、文書は道中で落としたのだろうと、この僧侶を調べる事はしなかった。死人に手を触れてはいけないと、諏訪へ帰った。死人に関われば諏訪大社の勤めができなくなるからである。
その後、高遠の者が調べると、僧侶は脇の下を刺されて死んでいた。可哀想なことをしたと、傷口を見てみると、なにか怪しい物が少し見えた。よくよく見てみると、それは一巻の書物であった。これがその系図であった。高遠の重宝となって代々伝わることとなった。
この僧侶が着ていた袈裟は血がついたまま残された。これも重宝のひつとであるという。
「仁科盛信」が高遠城に籠城した時、「織田信忠」はこれを攻め落とし、その時この書物も焼けてしまった。