『小平物語』小平向右門尉正清 入道常慶 貞享3年 [1686]
「小平物語」 ※読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
第一 小平出雲入道道三 元祖の事 記す
そもそも、我らが先祖は当国 (信濃国)佐久郡の住人 望月城主 左衛門尉信永 と申すなり。同国 平賀四郎義信 [1143-1207—] 末孫なり。
祖父は信永三男 源三郎信正。道三、是なり。末流の小平を相続す。
それ以前より数代、諏訪に居住す。
信永は小笠原長時公・村上義清公に与力して、天文年中 [1532-1555] 、武田信玄のために一族みな責め殺さる。
この時、望月、滅亡せしなり。
しかるに、道三は諏訪頼重の下にて走り廻り、数度の覚えある士(さむらい)大将なり。就中(なかんずく=とりわけ・その中でも)天文七戌の六月 [1538/6月] 、甲州韮崎 台が原の合戦をはじめ、信州の戦にて、永正 [1504-1520] より天正 [1573-1592] ・文禄 [1593-1596] ・慶長 [1596-1615] ・元和 [1615-1624] の年まで、取り分け一百余年の間、朝夕の取り合い・合戦、なかなか口に述べ難し。
道三の武功、
茅野・両角・高木、あるいは、澤・青柳・尾羽・三澤など
と同じく、数度の場を引き、誉れあり。
今に諏訪に取り沙汰粗これあり。この衆は諏訪の内の歴々 大身の士(さむらい)大将なり。
管理人考:
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望月城主 左衛門尉信永(著者から見て曽祖父)
↓ [子・三男]
源三郎信正・小平出雲・入道道三(著者から見て祖父)
↓ [子]
小平円帰入道(著者から見て父)
↓ [子]
小平向右門尉正清・入道常慶(著者)
管理人訳:
01.「道三 先祖のこと」
我らの先祖は信濃国佐久郡 望月城の城主「左衛門尉信永」という。信濃国の 「平賀四郎義信」 (1143〜1207)の子孫である。
私の祖父は「信永」の三男で「源三郎信正」という。この人物は「道三」のことである。末流の「小平姓」を相続した。
それ以前より数代の間は諏訪に住んでいた。
「信永」は小笠原長時・村上義清に与力していたが、天文年中(1532〜1555)、武田信玄のために一族は全員責め殺された。
この時、「望月」は滅亡した。
そこで「道三」は諏訪頼重の配下となりよく働いた。戦で何回も手柄をとった侍大将である。
その戦のなかでも、天文7年6月(1538年6月)の 甲州韮崎「台が原の合戦」をはじめ、信州の戦では、永正から天正・文禄・慶長・元和(1504年〜1624年)までの百余年の間続いた合戦は、なかなか語るのが難しい。
「道三」の武功は、茅野氏・両角氏・高木氏、あるいは、澤氏・青柳氏・尾羽氏・三澤氏などと同じく、数回に及び誇らしいものである。今も諏訪の中で評判である。この人々は諏訪の中で著名な人物であり、大身の侍大将である。