『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
(箕輪町上棚、澄心寺の奥の院、萱野の峰つづきの山頂に不動ヶ峰があり)その下の中腹にあるのが、遠見城の城址である。[p54]
(澄心寺の)すぐ北の尾根を登る。登ること約二十分、尾根を切り開いて掘がある。掘幅五間 [9m] 、二カ所の掘をこえて三段ほど上がった所が、遠見城の本拠だ。東に土手を築いてその東は深く掘をなしている。昔ここに不動尊が祀ってあった。澄心寺の奥の院であったのだろう。東西二十二間 [39.6m] 南北十間 [18m] 真ん中に直径五間 [9m] 位の狼煙台のあとらしい凹地がある。今は笹におおわれているが数本の桜があり、立派な石のほこらの蚕玉様が祀られて、かつては盛大なお祭りが行われたと。
東の峰には萱野の展望台がすぐそこに見えるし、北は辰野の王城山と、小野の石灰山、西は勿論のこと、南も伊那市をこえて伊那の半分がみえる。福与城関係の展望台と狼煙台であろうが、あれだけの大きな城だから、まだその周辺にはこの様なものが必ずあった筈だと思う。[p55]
澄心寺の境内に、仏古址あり。この不動尊はもと、遠見城の不動尊堂にあったのを、福与城の落ちる時だろうが、この山城も没落。この時本尊様を失なってしまった。二百年も経てから平三郎という村人が、この地を掘った時にこの尊像があらわれたのを澄心寺に一応祀ったが、元禄年間 [1688-1704] 、板倉頼母頭重相(しげただ)領地の時にこの尊像を今の放光山大仙庵に安置したのだそうだ。[p56]