柴宮明神・高橋明神・東光寺・西光寺
茲ニ神社佛閣ノ造営ス 子孫相栄来り
産神柴宮明神ノ普請 酉ノ方 勧請 后ニ(高橋明神)
菩提寺(龍崎山東光寺)
天文ノ頃 武田氏ノ為ニ兵火ニ罹リ焼失 天龍川東 小河内邨ニアリ 后 澤ニ移シ(東光寺ヲ)西光寺止改メヨリ
管理人訳:
(龍野口城主の小笠原彦五郎長宗の五男「重次郎長常」が大出羽場の地に分地され築城し)
この時、神社仏閣を造営した。子孫は栄えた。
産神(うぶがみ=うぶすながみと同じ=産婦と生児を守る神・土地の守護神)の「柴宮明神」を普請し、酉(とり=西)の方角に勧請した。のちの「高橋明神」である。
菩提寺は「龍崎山東山寺」である。
天文(1532年〜1555年)の頃、武田氏の攻撃にあい焼失した。天竜川の東の小河内村(現・箕輪町南小河内・北小河内)にあり、のちに澤(現・箕輪町沢)に移し「西光寺」と名を改めた。
※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など