上林上野入道の讒言
頼次ノ家臣ハ上林上野入道ト保科筑前守殿両人也 筑前殿ハ宮田ト云所七百石 諏訪ノ界澤底五百石合千二百石也 上林 信玄ヘ申而曰頼次謀反ノ気アリ 是故甲府ヘ呼 道ニテ害ス 上林若是讒言ハ主人ヲ斃シ己則地主タラン事ヲ欲テノ事ナリ 筑前守殿ハ上林ト相ヤケナリ 上野入道 子ヲ彦三郎ト云 是筑前殿ノ聟也 此讒言ヲ筑前殿ヘハ毛頭不為聞ニ訴也 是故筑前殿ヘ信玄ヨリ御不審ニ 相役上野ハ忠義ヲ以テ謀反ノ分申上ル所 其方事不及其儀ト 御答ニ努々不在由也 其節則佛法寺ト云禅寺ヘ入寺一ヶ年マシマス 然ルニ實事段々顕ハレケル故 筑前殿御身ノ上 信玄思召直サル 然トモ上林ヘハトガメモナシ
管理人訳:
「高遠頼次」の家臣には「上林上野入道」と「保科筑前守」の二人がいた。保科筑前守には「宮田」という所に700石、諏訪との境である「澤底」に500石、合わせて1,200石の領地があった。
上林上野は、高遠頼次が謀反を起こす気配があると、武田信玄に密告した。その為、高遠頼次は甲府に呼び出されるが、その道中で殺されてしまう。上林上野がこの様な讒言をしたのは、主人である高遠頼次を排除し、自分が領主になろうとしたのである。
保科筑前守は上林上野の相舅(あいやけ=婿の親と嫁の親という間柄のこと)である。上林上野の子は「彦三郎」といい、保科筑前守の娘婿である。上林上野は保科筑前守にまったく相談する事なく信玄に訴えた。その為、保科筑前守は武田信玄から「同僚である上林上野は忠義をもって謀反の件を知らせてきたが、保科筑前はそうはしなかった」と嫌疑をかけられた。しかし保科筑前は決して弁解をしなかった。
そして保科筑前は「佛法寺」という禅寺に入り、一年間謹慎した。そうしていると段々と上林の讒言であったという事実が分かってきたので、信玄は保科筑前の処遇を考え直した。しかし、上林上野には何の処分もなかった。
若是=是くの若くせば=かくのごとくせば このようにしたならば
讒言=ざんげん 他人を陥れる為にありもしないことを目上の人に言う事)
斃し=たおし
相ヤケ=あいやけ=相舅 婿の親と嫁の親という間柄のこと
努々=ゆめゆめ 決して
身ノ上=身の上 境遇