『小平物語』小平向右門尉正清 入道常慶 貞享3年 [1686]
「小平物語」より ※読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
第三 武田殿 諏訪殿 和睦 相調える事
天文十二 卯年 [1543] 、武田左馬頭殿(武田晴信の弟・武田信繁・典厩)をもって、武田晴信公より諏訪頼重公へ仰せ遣わさるる趣は、
「この度、武田の味方になられ候はば、晴信、妹を人質ながら妻女に遣わすべし。その上に、信州治まり候はば、その方、望みの通り、神文の下書を致され、老臣を遣わすべし」
とて、すなわち、台ヶ原の取手へ御出馬にて、諏訪より起請文の判本の検使には、茅野・小平 両氏にて、台ヶ原へ参り、晴信の御目にかけ、色々馳走ありて、神文持参して、各上の諏訪へ帰るなり。
即 上野原城において、その年中に頼重、祝言あり。
その後、また、晴信公より仰せ遣わせられ候は、頼重 先腹(さきばら=先妻が産んだ子)の息女ありの由、あい聞き候。これを人質に甲州へ差し越され、一両度、甲府へ出仕あるよしなり。