『箕輪記』宮下粛 天和4年 [1684]
※読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
戦国時代までの藤沢氏
足利氏の中葉におよひて海内(かいだい=国内)瓦解し 諸氏国郡を割拠し 戦争攻伐を務とす 藤澤氏 稍(ようやく?=次第に)兵力強して 四方を蠺食(蚕食=さんしょく=端から奥へと次第に侵略すること)し高遠鉾持辺ゟ諏訪筑摩の境に至るまて傳領したるなり
注釈:
世に傳所 藤沢氏 足利高氏に従て戦功あり 箕輪六郷に小峰三ヶ村を給はりぬ 六郷は今の福与の前後の六村 三ヶ村は・上戸・中条・輿地なり なといふ 其説心得られず
管理人訳:
足利氏の時代(1336年〜1573年)の中頃、日本中が瓦解し、武士たちは自分の領地に勢力を振るい、隣国を攻めることを常としていた。藤原氏は次第に兵力を増していき、四方の地を徐々に侵略し、高遠の「鉾時(ほこじ)」あたりから、諏訪と筑摩の境に至るまでを、代々領有した。
注釈:世間一般に伝わっている話では、藤沢氏は足利尊氏に従って戦功があり、箕輪六郷に小峰三ヶ村を賜わった。「六郷」は今の福与の前後の六村で、「三ヶ村」は・上戸・中条・輿地だ。などと言うが、その説は納得できない。