養泰寺(江戸)

養泰寺 所在地:箕輪町

『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆

 元和三年 [1617] 飯田城主脇坂淡路、箕輪領一万石を支配するため木下陣屋に加集(かしゅう)六兵衛以下十騎、同心など派遣。小笠原の造った、あき屋敷に入れて本格的な経営を始めた。上ノ城の下は豊富な湧水で池をなし、そこへ小県から寺を移し、陣屋の防衛構えとし、その寺の前を区画して町屋敷の地割をし、せまい台地一ぱいに使って陣屋の区画を作った。寺は養泰寺という。[p40]