04伊殿井伯耆



伊殿井伯耆居館は有賀氏へ

彼伯耆居之所ハ 東ハ天竜川高倦 南ハ元ゟ深堀小沢也 北西ハ築地ヲ構

守護殿滅亡之後 木曽殿後領地之節迠 彼伯耆住居之所誤有而 關所ニ罷成 御上ケ地と成

其後 甲斐信玄公御領地ニ相成 天文年中ニ 有賀讃岐守 右伯耆之居館地所共ニ賜る 今 子孫 住居仕候

則 被下置地所 五拾壱俵立地米之所 并 山ハ所分附之地ニ而 仙石 杢ヶ窪 細畑 と云場所 信玄公より拝領ス也



管理人訳:

 

 伊殿井伯耆が拠点にした場所は、東は天竜川の高い崖、南は元々の深い堀があり小さな川が流れている。北と西は築地(ついじ=土をつき固めて作った塀)を構えていた。


 主家である坂西氏(大出氏)が滅びた後、木曽氏の領地となった時代まで、この場所は伯耆の住まいであった、というのは誤りであって、土地は返上され、関所として機能していた。


 その後、甲斐の武田信玄の領地となる。1532年から1555年の天文年間に、「有賀讃岐守」(さぬきのかみ)が、伊殿井伯耆の館と土地を賜った。今(1770年・明和7年)有賀讃岐守の子孫がそこに住んでいる。


下されたのは、地米で51俵を収穫できる土地。山は◯◯◯の地で「仙石」「杢ヶ窪」「細畑」という場所である。これらを武田信玄から拝領した。


管理人考:

・地米=じごめ じまい=その土地でとれた米

・米1俵は米1石に相当するか?米1石は一人の人間が一年に消費する米の量。俵の単位 → wikipedhia





※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など