『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年 [1964-1969] 執筆
この辺(箕輪町大出古城の段丘下あたり)を長橋ともいっていたそうだが、旧伊那電気鉄道の線路はここを通って北小学校の北の辺から西に出て、今の国道へりを羽場に出た。この長橋も坂をなしているので時々電車が力が出なくて、グウグウうなっていて上らない。乗客が降りて押し上げる。県道へ出ると、当時ライバルの乗合馬車が、競争し出して、馬の尻をひっぱたいて電車を追いぬくと、得意になった馭者(ぎょしゃ)は つの笛の恰好をした妙な真鍮ラッパを高らかに吹きながらとんでいく。羽場の坂になると電車の輪がからまわりをして馬車を追いぬく。馬車馬は足がくたびれてトボトボと歩いてくる。この辺は馬車と電車の有名なかけ合い競走場所であった。[p58/59]