『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
三日町とは、月に三回、三の日に市がひらかれた町の名である。中世以来からの市場の名ごりの町だ。美篶に一日市場(ひといちば)、長藤に四日市場と九日市場、東伊那の塩田に十日市場。赤穂の市場割は日をおきわすれて残った名残であろう。[p44]
帯無川に狭ばめられた川幅を渡船して川西と川東の連絡をなした。そこに三日町と木ノ下町が出来あがった。川風と出水に恐れおののいて昔の人も、川除け堤防を作りながらだんだんと高い所から河原におりてきた。[p53/54]
新蕗原拾葉/地域の歴史資料をアーカイブ・閲覧ライブラリー by 柴徳昭
『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
三日町とは、月に三回、三の日に市がひらかれた町の名である。中世以来からの市場の名ごりの町だ。美篶に一日市場(ひといちば)、長藤に四日市場と九日市場、東伊那の塩田に十日市場。赤穂の市場割は日をおきわすれて残った名残であろう。[p44]
帯無川に狭ばめられた川幅を渡船して川西と川東の連絡をなした。そこに三日町と木ノ下町が出来あがった。川風と出水に恐れおののいて昔の人も、川除け堤防を作りながらだんだんと高い所から河原におりてきた。[p53/54]