北小の横を走った伊那電気鉄道


北小の横を走った伊那電気鉄道

箕輪北小学校だより『自分を好きになる』No.9  掘口潔校長 著 平成27年 [2015]


(略)


 今、皆さんが畑をつくっていますが、今井先生がひまわりを植えているあたりは、石がごろごろ出て来るそうです。何の石だと思いますか?今井先生に聞くと、それは、昔の鉄道のレールの敷石だということです。つまり、今の畑の場所を電車が走っていたということです。不思議に思って、箕輪の郷土博物館に行って、係長の柴さんに聞いてきました。


 今、JR飯田線は北小の東側、天竜川に近い平らな所を走っています。今の線路ができたのは大正12年 [1923] で、今 [2015] から91年前、沢駅もその時完成したそうです。そして、戦争中の昭和18年 [1943] には国有鉄道になり、戦争中の物や人を静岡の浜松から運んだそうです。その国有鉄道はその後、JRになり、今の飯田線になっています。


では、その前はというと、伊那電気鉄道という私鉄電車が走っていました。この伊那電気鉄道は、飯田市に生まれた伊原五郎兵衛という人が明治40年 [1907] 、長野県初の私鉄を創立しました。明治時代から電車が走っていたなんてすごいことですね、その時走っていた電車の写真がこれです。



これは開通した時にお祝いで飾り付けをしていますが、今より小さい電車ですね。明治42年 [1909] 、今から105年前には、辰野から伊那松島までの鉄道が開通しましたが、実はその時の線路は、今のJRのルートではなく、何とこの北小の西側を通り、熊野坂を走っていたのです。そのルートを見てみましょう。



この写真は明治39年 [1906] 、辰野駅が開業した時の写真です。でも、伊那電は辰野駅の近くの西町駅を出発し、新町駅、羽場駅を通り、伊那松島まで行くのですが、今のJRより西側を通っていました。そして、羽場駅と伊那松島駅の間に「沢上停留所」「大出下停留所」、そして「追分停留所」がありました。



「沢上停留所」は、今の伊北インターの場所を通って、その南側、国道153号線沿いに今、「伊那路」という食堂がありますが、その場所にありました。


「伊那電沢上停留所」の推定位置 黄色のラインが「伊那電」推定ライン




そこから、中央道下を通り、箕輪北小の西側、そして皆さんの畑の西側とおり、今のバイパス、熊野坂を下りきった所に、大出下停留所がありました。皆さんがマラソンの時に折り返した三笠電化の南側あたりです。


「伊那電大出下停留所」の推定位置



バイパスの西側の三笠電化(前述の三笠電化とは別棟)を通り、箕輪斎場の場所にあったのが追分の停留所です。その追分停留所を過ぎて、今のJRの線路に繋がっていました。大出下停留所では、朝通学の女学生でにぎわっていたそうです。


「伊那電追分停留所」の推定位置


その頃、松島には電車の工場があり、電車の点検をしていました。また、電線の工事ははしごを使ってやっていました。



沢上から大出下の間は、勾配がきつく、最大の難所だったそうです。上り坂にさしかかるとスピードは遅くなり、電車から飛び降りて、家に弁当をとりに行き、先回りして待っていれば十分に乗ることができたそうです。人より遅い電車なんて驚きですね。


また、急勾配で危険な割には、事故は少なかったそうですが、それでも、沢上でブレーキが故障して大出下まで暴走し、脱線転覆したということもあったそうです。これが脱線した電車の写真です。



具体的に言うと、大出下から貨車を引いて沢上へ向かい、坂を上っていく。連結器が貧弱なものだから途中で折れたり、外れたりして、貨車だけ暴走し、次の電車と衝突し、脱線転覆したそうです。それ以来、沢上へ到着しないと、次の電車は発車できないようになったそうです。


伊那電ができたのは明治42年 [1909] 、そして、今のJRの線路に変更し、沢駅ができたのは大正12年 [1923] ですから、熊野坂を走っていたのは14年間ということです。その頃の熊野坂を走っていた伊那電を実際に見たことがある人は、今91歳以上の人です(2015年現在)。皆さんの曾お爺さんか、曾お婆さんで御元気な方はいるかな?もし、お元気なら、伊那電のことを聞いてみてください。


(略)





管理人考



北小のひまわり畑あたりに敷石が出るという情報を聞いて訪ねてみると、ゴロゴロと集められた石が転がっていた。


下の写真の場所は北小のグランドの南に少し入った所。
北小側から南を見ると、右手に153号線バイパスの段丘面がある。

 

逆にひまわり畑から北の北小グランド方面を見る。
左手に153号線バイパスがあり、その横、中段に白い壁の家屋がある。ここは畑より一段高いので伊那電ルートはこの家屋の右手、畑と同じ面になった道路部分だろうか。




白い家屋の前の道を北小グランド方面に緩やかに登る道。その脇の道路下には大小さまざまな石が大量にある。砂利を敷いた駐車場ではあるものの、細かい砂利とは明らかに大きさの異なる石が大量に転がっている。ここでも敷石がごろごろ出るのか?とすると、このあたりがやはり伊那電ルートかもしれない。