『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年 [1964-1969] 執筆
(福与城の藤沢)頼親もやがては甲府によばれて、そのまま片づけられる気配だ。そこで頼親は、こっそり抜け出して、松本の小笠原に身をよせた。翌年、天文十五年 [1546] 、東筑摩の青柳合戦には小笠原貞慶に属して戦い、二男藤沢伝内は戦死している。
新蕗原拾葉/地域の歴史資料をアーカイブ・閲覧ライブラリー by 柴徳昭
『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年 [1964-1969] 執筆
(福与城の藤沢)頼親もやがては甲府によばれて、そのまま片づけられる気配だ。そこで頼親は、こっそり抜け出して、松本の小笠原に身をよせた。翌年、天文十五年 [1546] 、東筑摩の青柳合戦には小笠原貞慶に属して戦い、二男藤沢伝内は戦死している。