10羽場の検地



羽場の検地

天正十八年 [1590] 庚寅ヨリ天正検地

慶長六
[1601] 丑年検地縄◯(孝?)ノ時 旧城地縄
春宮惣右衛門
◯ 柴左衛門

慶長六 
[1601] 丑年ヨリ 當地方 高遠城主保科肥後守様領地トナリ
惣石高 王居出村ヲ(大出村)ト書ク
大出村羽場◯
(兵?) 七百八拾石八斗四舛九合

大出村羽場 地頭 惣右衛門
仝村 仝◯ 五兵衛
仝村 百姓代(澤) 弥左エ門
仝村 仝◯ 伊右衛門

慶長六
[1601] 辛丑九月六日
検地御代官様
津田惣左エ門様
小林主水様
山村七右衛門様
宮崎太郎右エ門様

此時 當春宮惣右衛門方 高木五兵衛方 御代官様御休息
上田 中田 下田 上畑 中畑 下畑ホ御検分
圡盛リ舛検地 御縄頂戴ス

 

管理人訳:
1590年 天正18年 庚寅の年から天正検地(があった)

1601年 慶長6年 丑の年 検地縄◯(孝?)の時 旧城地を検地した
春宮惣右衛門 ◯
柴左衛門丞

1601年 慶長6年 丑の年から 当地方は高遠城主 保科肥後守様の領地となった。
総石高 王居出村を「大出村」と書くようになる。
大出村羽場◯(兵?) 780石8斗4舛9合

大出村羽場 地頭 惣右衛門
同村 同◯ 五兵衛
同村 澤の百姓代 弥左エ門
同村 同◯ 伊右衛門

1601年 慶長6年 辛丑の年 9月6日
検地御代官様
津田惣左エ門 様
小林主水 様
山村七右衛門 様
宮崎太郎右エ門 様

この時、春宮惣右衛門の家と、高木五兵衛の家で代官が休息をとった。
上田・中田・下田・上畑・中畑・下畑を検分された。
「土盛升」で検地を受け、検地帳に記載された。(縄=竿入れ=縄打ち=検地を受けること)


管理人考
「土盛り升」とは・・・
一立方尺の箱へ土と水を五升ずつ入れ、その乾き工合によって決めたという。乾き方がどうなら等級が何になるかはわからないが、とにかく、田畑の等級は土盛桝による土質検査に基づいて行なわれたものである。(箕輪町誌より)


※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など