01阿波国の近藤周家 義経を助ける



阿波国の近藤周家 義経を助ける

抑伊那郡大出村之城ハ 元暦年中 [1184-1185] 平家追討として源九郎判官義経 摂州難波より四國渡海之時 一番ニ御味方ニ属せし 阿波國之坂西之住人 近藤六郎周家 四國之案内として武功有 平家悉力滅亡之 後義経武功之 を以て大敵を亡ス といへとも梶原之讒言ニ依而 兄頼朝と不和ニ成 腰越ゟ鎌倉ニ不入立 周家は鎌倉ニ入といへとも 義経と同志なりとの御疑を以為 差賞も不被行 遊客と成て暫時居住ス所ニ 文治三年 [1187] 伊奈郡邸戸庄地頭ニも命


管理人訳:
そもそも、伊那郡大出村の城は・・・・・

1184年〜1185年の元暦の時代、平家追討の際に源九郎判官義経が摂州(大阪〜兵庫の一部)の難波から四国へ海を渡った時、一番に味方についたのが、阿波の国(現:徳島県)坂西の住人「近藤六郎周家」(ちかいえ)である。四国の案内をして武功があった。
その後義経は、平家の勢力をことごとく滅ぼして武功を挙げ、大敵を滅ぼした。

しかし梶原の讒言によって、兄の頼朝と不和になり、腰越から鎌倉に入ることができなくなった。
近藤周家は鎌倉に入れたとはいえ、義経の同志であるという疑いをかけられ、褒美も与えられず、仕事もないまましばらく暮らしていたところに、1187年・文治3年、伊那郡邸戸庄(郊戸庄=ごうど庄=現・飯田市)の地頭を命じられた。




※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など