『箕輪町歴史行脚』小川竜骨より 昭和54年 [1979] 出版
※原文は詩調。読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
大出城
「大出沢村根元記」を記す文書をひもとけば、箕輪領地を守護として、初めて赴任して来たる下伊那飯田地頭の「坂西淡路の守」の孫、「兵庫頭」が、功により、伊那の領地を与えられ、大出に居を構えしが大出城の始めとか。
伊那路橋
竜河(天竜川)に隔つ、小河内と沢を結ぶ伊那路橋。
今はなき神社仏閣
「西村小路」の東西に
・「大六天社」
・「金剛寺」
・「盲神堂(めくらがみ)」
・「弥陀(みだ)畑」
・「弥陀(みだ)寺」
の跡を訪なえば、古びし石の幾佛。
井殿居
渦巻き上ぐる井殿居(いどのい)の淵の深さは幾ばくぞ。観音堂の釣鐘が底に沈むと伝われり。
竜河(天竜川)魚族の楽天地。千鳥啼き(なき)交う夜もすがら
古い地名
字
・「西町屋」
・「中町屋」
・「東町屋」に、
・「半在家」
・年六回の「市坂」や
御手洗の池
熊野神社の跡近き「御手洗の池」、水清し。
西光寺
大出・沢村 真中(まなか)いに、慈光輝く「西光寺」
在す「延命地蔵尊」
蕗原の社
ひときわ高き段丘の森に囲まれ、蕗原の社に祀る神々は、五百(いほ)秋、千百(ちほ)秋限りなく、沢の村人、見護らん。
古い地名
・「一本佛」
・「三昧堂」
・「蓮台」
・「垣外」
・「御嶽社」
・「馬塞口」
・「町屋」
・「太子堂」
・「白山」
・「在家」
丸山遺跡
「丸山」は縄文中期遺跡なり
古い地名
広い田原のその中に、
・「二の打切」 と
・「一の坪」
・「三の打切」
・「藤八」や。はたまた、
・「丁の田」
の字(あざ)は古代条里の名残かや。
深沢駅
京へ延喜の官道も、「深沢駅」は何処ならん
大天狗社・天王社
桑沢川の上流に、
・「大天狗社」
・「天王社」
長田の湯
渋に温(ぬ)まる「長田の湯」。蕎麦の花咲く、ところどころ。
今はなき遠香寺
天津日影の「堂平」。桑沢山の「遠香寺」。往時栄えし山寺も、年は移りて星変わり、影さえ偲ぶよしもなし。
手長神社の御手洗
羽場と沢との村境、手長神社の御手洗の、池は残れど荒れ果てぬ。野良の憩いに里人が、親しみ深き水房の、池はこんこん清水湧く。
御前川清水
伊那路を下る田村麻呂。見返り来たる伝説の清水や、「御前川(おめのかわ)清水」
七人塚
北ゆ、南ゆからとなく流れて来たる山伏の「七人塚」は沢上よ。
箕輪領守護、来し前は夢より淡く、漠として、探せど深き八重霞。
沢の古地名
http://www1.town.minowa.nagano.jp/html/pageview/pageview.html#page_num=886