『箕輪町歴史行脚』小川竜骨より 昭和54年 [1979] 出版
※原文は詩調。読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
高見ヶ丘の朝桜。紫匂う雲晴れて、恣(ほしいまま)なる揚雲雀(あげひばり=空高く舞い上がってさえずっているヒバリ)。
屋根板、馬の背に着けて、「馬追い節」に諏訪道を運びしこともありしよな。
地狂言
村の慰安の地狂言。(じきょうげん=地方の人々によって行われる歌舞伎芝居)
機織り
主の衣(きぬ)織る 梭(ひ=織機の付属用具・シャトル)の音に、和して糸繰り唄はずむ。
浅間塚
六十一年目に築く浅間塚(浅間神社)の祭神は、天の木の花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ=富士山を神体山とする浅間神社に祀られる)
喜登(きど)の名木、寄りて見ん。梨と常若(とこわか)、からみ合い、何れが梨か常若か。仲睦まじきこそよかれ。
祟る石塚
触れば祟る、石塚の伝説に背の筋寒し。
道祖神
蚕飼いに励み、田に畑に勤しむ(いそしむ)里の人々を、辻に見守る道祖神。
弘法大師縁日
他所より信者、打ち連れて、弘法大師縁日に利益を得んと押し寄せぬ。
大和清水・羽場清水
昔懐かし、名も高き、大和清水に羽場清水。心あらばや、いざ汲まん。水には縁の遠き里。北の沢川 真清水を朝夕担ぎ、手桶にて汲むは、気なげな風の子の弛まぬ(たゆまぬ)日課なりしとか。
消えた京の阿弥陀如来
族(うから=親族)、輩族(やから=一族・一門)の弥栄(いやさか=ますます栄えること)を願い、京より迎請(げいせい)の阿弥陀如来のお姿は何処に消えて行きつらん。林檎花咲く五輪畑。
土器・石器
四千年の歳月を土に眠れる土器石器
源次郎
源次郎さあ、あったかいなあと、焚火を囃したることも昔の語り草。
猪土手
山に猪(い)の土手。野荒しを防ぎし堀は木の間縫う。戸たて山人(やもうど)下る頃、山梨木場(こば=切り出した木材を一時集めておく山間の平地・山間の農作地)の、真白なる花は家路の夕明かり。
正八幡
社頭に栗と大椹(さわら)、風に倒れし大株のあとを若干(そこばく=いくらか)残すのみ。逝く人、生れ出ずる人、正八幡の御恵に浴す三十有六戸。
人の心も「八乙女」の名に応しく(ふさわしく)麗しき。
八乙女の古地名
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