神戸(ごうど)とボンノクボ 所在地:辰野町
『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
新道が羽場下の鉄道沿いを通り、崖上に古い部落のあるのを忘れて人が通ってしまう。そこで人々は言った。”神戸とボンノクボは見たこたあない”とは昔の人の言い草だった。[p30]
羽場の古ル城と神戸
諸説粉々と伝わっているが、古城という名からして、新町と羽場北大出の境に南北朝争乱のころ小笠原系の城塞があり、羽場駅の北にもあった。古城は割合早くなり、羽場城が重要になって来た。京極高知が築城を完成しかけた所で国替となって、そのまま廃城同様になったと解釈出来そうだ。ぼんのくぼと同列にみられた神戸も、古い屋なみがならんでいて、草間肥前か小笠原の子孫たちの山下(さんげ)集落かもしれない。[p31/32]
管理人考
神戸の崖(ハバとも言う)の下にその昔、伊那電気鉄道が通っていた。現在の国道153号線に沿っているものの、羽場部落では現国道のほんの少し東を通り、今トンカツ屋さんの「まつくぼ」やイタリアンレストラン「ベガ」の前の湾曲した道上を通り、その北、ゴルフ練習場の谷に少し湾曲して入り、その後は崖の中間、飯田線のすぐ上を路面電車として運行していた。当時の路面電車の写真が神戸下で撮られている。その後、松島から辰野までの軌道を現在の飯田線の軌道に替え、現在は伊那電気鉄道の痕跡はあまり残っていない。ちなみに、神戸下の崖中間を通ったイナデンは、宮木の神社の前を通り、現警察署の前を通って横川川を渡った。
関連項目:伊那電気鉄道
『角川日本地名大辞典(旧地名編)』より
戦国期に見える郷名伊那郡のうち天正6年の上諏訪大宮造宮清書帳に「一,瑞籬一間 上伊那 宮所内……神戸之郷 同取手花岡 合壱俵代二積而弐 百文 代官 式部左衛門尉」と見える(信叢2)江戸期の新町村の枝村に神戸村が見え,現在の辰野町伊那富のうちに比定される。