新蕗原拾葉/地域の歴史資料をアーカイブ・閲覧ライブラリー by 柴徳昭
『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
次郎頼親(福与城の藤沢頼親)の娘は、三州足助(あすけ)の城主鱸(すずき)某に嫁いだが、信玄のために足助は亡ぼされ、ために生家に帰って男の子を生んだ。頼親はその子を養子として箕輪左衛門と名のらせた。信玄のために亡ぼされた足助の一族は、遠く信州に逃げこみ、辰野の川島の奥に住みついた。それが今の足助氏の祖先だといわれている。[p45/46]