『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
人によると(上棚の澄心寺は)長岡から移った寺だという。中絶した事があるかも知れないが、元々は山岳仏教の形をもった寺があったにちがいない。長岡の台地にある石の地蔵様も一緒に上棚へ移ろうとすすめてみたが、地蔵様は、” わしは尻が重いから移るのは嫌だ。ここに居る ” とて、いまだに長岡の露天に坐っていらっしゃる、という。[p54]
新蕗原拾葉/地域の歴史資料をアーカイブ・閲覧ライブラリー by 柴徳昭
『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
人によると(上棚の澄心寺は)長岡から移った寺だという。中絶した事があるかも知れないが、元々は山岳仏教の形をもった寺があったにちがいない。長岡の台地にある石の地蔵様も一緒に上棚へ移ろうとすすめてみたが、地蔵様は、” わしは尻が重いから移るのは嫌だ。ここに居る ” とて、いまだに長岡の露天に坐っていらっしゃる、という。[p54]