『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
福与全体がかなりの傾斜地であるので、この鎌倉沢の洞も全部水田になっているが、コッペパンを半分に切って積み上げた様な不正形に湾曲した水田が上まで続いている。半分位は湿田で年中水をたたえている様だ。この湿田は農耕時代に入ってから以来の古田にちがいない。[p48]
新蕗原拾葉/地域の歴史資料をアーカイブ・閲覧ライブラリー by 柴徳昭
『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
福与全体がかなりの傾斜地であるので、この鎌倉沢の洞も全部水田になっているが、コッペパンを半分に切って積み上げた様な不正形に湾曲した水田が上まで続いている。半分位は湿田で年中水をたたえている様だ。この湿田は農耕時代に入ってから以来の古田にちがいない。[p48]