有賀峠の火の玉

火の玉の有賀峠 所在地:辰野町・諏訪市


『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆


「火の玉の出る有賀峠」

 有賀峠をこえて諏訪の地に降りると、目の前に上諏訪があり、右に道をとると甲州路の脇往還だ。鎌倉街道はこの有賀峠をこえたにちがいないと云っている。

 昔からこの峠に、火の玉が夜な夜なあらわれる。夕飯時に麓にあった火の玉が、青光りの光をゆらゆらさせながら、峠をゆっくり上り、頂上に至る頃、鶏のなき声によって消えてしまう。これは昔、修験者を殺し、頂上辺に埋めたので、その魂が夜な夜なあらわれるのだと人々は信じている。

 その塚を千明院塚という。今はバスが通るほどの明るい峠である。下ると平出郵便局の前に出る。[P11]

諏訪と上伊那の交通路は有賀峠を本道としたらしい、古書によると高さ凡そ二百五十丈、豊田村の湖畔の有賀よりすぐ坂にかかり、ほとんど急坂もなく頂上、伊那方面の斜面に下って、諏訪郡の上野。少し下ると、上伊那の上野。峠より西南の日当りのいい斜面の部落の人たちは、子供を学校に通わせるのに辰野に出している。上野新田村といってたそうだ。諏訪湖畔は耕地が少なく日陰にむいた斜面を掘りおこして平に耕して、天に至の労をなしているから人々はよく働く。嫁をもらうなら、この日陰村からもらえとは諏訪の人たちの通用語だそうだ。[p11]