『小平物語』小平向右門尉正清 入道常慶 貞享3年 [1686]
「小平物語」 ※読みやすい様に管理人が箇条書き・()などを加えています。
第六 小笠原長時公、越後国へ御浪人の事
天文十八酉 [1549] 、十九戌 [1550] 、両年、武田晴信公、諏訪衆を御先衆に仰せつけられ、小笠原の時分、
・塩尻 ・桔梗原 ・サミゾ
あるいは東の、
・原 ・氷室 ・スワル ・出川 ・西巻 ・犬飼 ・中原
あるいは、
・野々宮 ・小室原
にて、小笠原之旗本、士(さむらい)大将衆、ことごとく降参つかまつるなり。
木曽殿も降参なり。これはみな、松本辺りのことなり。長時公麾下(きか=直属の家来・はたもと)の人々、御敵にまかりなり候。ゆえに長時公の
・嫡子 治郎長義
・二男 長貞
・貞慶(長時の三男)
・御舎弟 当悦老
御父子、兄弟、長尾景虎公を御頼み、越後へ退散なり。それより長の取り合いも、これなく、静かなり。
道三物語るを円帰、これ記す。