富田



『下伊那郡史 第四巻』 昭和36年 [1961] 出版

赤字は管理人の加筆です。


この部落には土師器(はじき)灰釉陶器(かいゆうとうき)の出土があって、古い郷土であることが知られる。

吹上から富田へ入ったあたりを「まちや」とといい、古道は今の西県道よりは五町(545.45m 1町=109.09m)ほどの山際を富田神社の裏手を通る。北はずれの「三本松」は、富田の発祥地といわれ、湧水灌漑による古水田もある。


「三本松」からは北は、小松・灌木(かんぼく)の疎生する緩斜の山麓原野に一直線の道形がよく残っており、今も農道に用いられて馬牛も行き交うている。


それより北は帯無川の浅い谷を渡って上古田に行く。(昭和三十一年十一月十四日 市村・宮下は安藤平一郎氏の談話 及び 案内により現地調査)








『箕輪町歴史行脚』小川竜骨  昭和54年 [1979] 出版

※原文は詩調。読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。


富田
山脈(なみ)遠く連なれる
麓に珠玉(たま)を配す如と(ごと)家も富田の一狐村(いっこむら)
山裾なれど 都へは譲らざりけり大自然


八幡宮の大ヒノキ
八幡宮の境内に神代木の大桧(ひのき)
目通り(目の高さの部分の幹の太さ)四丈七尺余(14.241mくらい)、高さは百と五十尺(45.45m)
和田峠より望見し得たりと、稀の木の跡に、由来を記す碑(いしぶみ)は郷土富田の誇りぞや。


冬篭り
天狗の森に荒れ狂ふ岳の颪(おろし)は肌を刺す
雪に埋れし三ヶ月、囲炉裏に榾(ほだ)をくゆらせて
胸にのぞみを描きつゝ 冬将軍の去る後の躍動を待つ冬篭り

榾=ほだ=たきものにする木の切れ端
くゆらせる=煙を立たせる






『金原長者の話』 伊那の伝説 岩崎清美 昭和8年 [1933]

※赤字は管理人の追記。読みやすい様に箇条書きなどを加えています。


長者の話としては まだ次のやうなのがある。

中箕輪村の上古田に 昔 金原(かねはら)長者と云うのがあった。財宝を山のやうに積んで居たと云ふが、詳しい話は傳はって居らぬ。

今その屋敷跡を「金原」と云ひ、長者の名前を「唐澤杢之亟」(からさわもくのじょう・・・か?)と云ったとも傳へられて居る。


又 同じ村の富田に 萬福長者が一人あって、諸国の長者と同じやうに宝競べをしたと云ふ話が残っている。


此の長者の米倉が一朝にして火を失して焼け失せた。その時の焼け米を埋めたお云ふ米塚が残って居て、今でも掘れば焼き米が出て来るそうである。


[p252]  [国会図書館デジタルコレクションでは p137]






伝説の舞台を訪ねて』いな谷ネット 伊那ケーブルテレビジョン 2007

金原長者が暮らしていたという伝説がある赤ソバの花が咲く「上古田金原」では、金原長者の娘が富田の米塚長者の家に嫁いだときの婚礼の話をし、パネルを使って紙芝居風に伝説を紹介した。http://inamai.com/sp/ictnews/detail.jsp?id=16458





前平の椹(さわら)』 朝の学舎 KOA株式会社 2010

米塚長者たちの歴史を物語る大木 吹上の歴史に詳しい 望月喜久雄さん

この付近は標高が高いのですが、水にも恵まれ早くから稲作が盛んでした。その頃、米塚長者たちがここに社を建て、感謝のお祭りをしたのだと思いますが、自生していのか植えられたのかは定かではありませんが、その頃からの木だと思います。
先祖たちからずっと私たちを見守ってくれているありがたい木だなあと思います。途中で落雷に遭い、折れてしまいましたが、これからもずっと元気で長生きをして、私たちや子供たちを見守ってほしいと願っております。
https://www.koaglobal.com/manabiya/cn19/cn30/pg248.html




富田の古地名

http://www1.town.minowa.nagano.jp/html/pageview/pageview.html#page_num=886