『箕輪町歴史行脚』小川竜骨より 昭和54年 [1979] 出版
※原文は詩調。読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
大出城
天竜川と深沢の、流れ見下ろす高台に、築きし大出城の跡。天文天正年間 [1532-1592] に福与の城主葉の藤沢式部、居城にて、北に三筋の空濠を蛇の目の如く巡らせり。向い手前の古城(ふるじょう)に残る空濠、郷士久保。住まいし武将、誰々ぞ。
左近太夫の奥津城
顧みる人影もなき左近太夫の奥津城(おくつき=神道でいう墓のこと)は、茨や生うる笹の中。
古い地名
真下に並ぶ千町(ちまち)田に、黄金波打つ豊(ゆた)の秋。
・「二の打切り」や
・「一の坪」
・「三の打切り」 字古し。
深沢駅
・西に「馬塞口(ませぐち)」
・東に「家門平」や「里小屋」と、
都へ登る官道の栄えし頃の名残かや、「深沢駅」の跡、何処。
大永寺の井戸?
縦井戸、数多ある中に、わけても深き寺の井戸。よく掘り下げし十二間 [21.8m] 。
現高橋神社
白昼に星、見えるとか、其の名「高橋権現」の社の森は鬱蒼と。幾何(いくばく=どれほど)なるや大樅(もみ)の樹齢は計り知り難し。
高橋神社古宮跡
碑のみ残れる「古宮社」。御手洗(みたらい=参拝者が手や口を洗って清める場)の池、荒れ果てて、湧く水清く、音幽か(かすか)。田中の細き参道に名残を留む(とどむ)木の華表(とりい)。
十蔵坊
府仰(ふぎょう=立ち居振る舞い)往古を偲ばしむ、「十蔵坊」の塚の跡。
太夫塚
雑木の中に太夫塚。眠りて謎を秘めしまま。
堂久保・堂平
襞(ひだ)に堂久保・堂平。
猪土手
猪土手(ししどて)、山裾、延々と、辰野宮所まで続く。戸たて山人(やもうど)下る頃、目先に迫る夜の帷(とばり)。
二本松
雲を凌ぎて(しのぎて)相生(あいおい)に、男女(おとこおんな)の二本松。昔、三州街道を旅する人も足止めて、緑の色に見とれけん。
大永寺と中村元恒と十返舎一九
文政二年 [1819] 、中倧(ちゅうそう=中村元恒)が「文墨会」の催(もよおし)に一九(十返舎一九)招きし大永寺。年、押し迫る除夜の鐘。衆生(しゅじょう)百八、煩悩を、除きて無我に帰れとや。余韻は凍し(いてし)空に消え、不滅の法(のり)の灯は冴えぬ。
中村元起
文化二年 [1805] の弥生より、中村元起、留まりて、起せし稿は「伊那史略」。在住十七年なりき。
管理人注:「伊那史略」を書いたのは中村元恒か。元起は元恒の子。
囲穀の倉跡
囲い穀(かこいこく・いこく=囲穀)して共存の道を拓きし、倉の跡。和気(むつまじい気分)の溢るる人情は語るも聞くも微笑まし。
大文字(でえもんじ)
睦月 [1月] 行事の「大文字(でえもんじ)」。よくぞ今日まで伝え来し。郷土誇りの一つなれ。
春日街道
寄る年忘れ、童心に還りて毛毬唄すさみ、偲ばん、春日街道を。
大出の古地名
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