木曽義仲が粟塚氏を攻める
茲ニ又 安元年中 [1175-1177] 信刕木曽住人 木曽冠者源義仲 諸国ノ源氏ニ議リ 平氏追討為メ北国ニ義兵揚時 當地鷹待粟塚氏ニ降参致ス◯使者来ルニ 粟塚氏 之◯背◯シニ 木曽氏大ニ立腹 忽チ夛数ノ兵ヲ伊奈ニ送リ 先 笠原城 鷹待城 手始ニ火ヲ懸ケ 両城終ニ火災ニ罹リ灰煙ニ化シ 夫ヨリ當地方ハ暫時 木曽氏ノ領地ニ属シ 目代ニ 山名権之頭兼義 同次郎兼光ホ當地方守ル
管理人訳:
安元年中(1157年〜1177年)、信州木曽の住人・木曽の冠者(かじゃ・かざ=元服した若者)義仲が、諸国の源氏と謀って平氏追討の為に北国(=北陸道)に兵を挙げた。当地の鷹待の粟塚氏に降参するようにと使者を送ってきたが、粟塚氏はこれに背いたので木曽氏はおおいに立腹し、すぐさま多数の兵を伊那に送り、まず「笠原城」「鷹待城」を手始めに火をかけ、この二つの城は火災に遭い、灰と化し、それから当地方はしばらくの間、木曽氏の領地となり、目代として「山名権之頭兼義」「山名次郎兼光」が当地方を守った。
※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など