羽場の柴氏
茲ニ降テ 天文ニ癸巳年 [1533] 信濃国筑摩郡林野城主 小笠原信濃守従四位下長朝公ノ次男 柴河内守氏清 信劦伊奈郡蕗原庄羽場城主ニ任ス
茲ニ始メテ羽場城ノ再建立
侍大将
小林若狭
林兵馬介氏之
吉田傳内
三村三左エ門輔◯
長崎善右エ門秀◯
柴宮源吾左エ門氏利
千野小太郎重道
星名甚大夫正景
小坂兵部幸時
其勢百三拾五騎 羽場城ニ従軍ス
嫡子 小笠原孫次郎清重 柴姓継グ
二男 柴氏大夫信純 分家
天文十六年 [1547] 六月 筑摩郡林野合戦ニ出軍ス
甲劦武田氏ノ軍将小幡氏為ニ井川城ニ於テ討死ス
夫ヨリ仝羽場城主柴家一族諸々落居ス
仝十八年 [1549] 武田氏ノ軍勢伊那郡ニ攻来リ諸城ヲ攻メ 羽場城龍野城皆落城ス
后 高遠城主會津移封ノ トキ(合略仮名) 随伴ス
管理人訳:
時代は下って、天文2年(1533年)、信濃国筑摩郡の林野城の城主 小笠原信濃守従四位下長朝公の次男、柴河内守氏清が、信州伊那郡蕗原庄の羽場城守に任ぜられた。ここで羽場城が初めて再建された。
侍大将
小林若狭
林兵馬介氏之
吉田傳内
三村三左エ門輔◯
長崎善右エ門秀◯
柴宮源吾左エ門氏利
千野小太郎重道
星名甚大夫正景
小坂兵部幸時
その勢力135騎が羽場城に従軍していた。
天文16年(1547年)6月、筑摩郡の林野城の合戦に出軍した。
井川城にて、甲州の武田軍の将 小幡氏によって討死にした。
それから羽場城の柴一族はそれぞれが落ち着いた。
天文18年(1549年)、武田軍が伊那郡に侵攻し諸城を攻め、羽場城・龍野城は落城した。
のちに高遠城主が会津に移封となった時、それに従って会津へ移った。
※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など