「よしもとやのおばちゃん」の語り
管理人考
これは管理人の子供の頃の話である。管理人は伊那電さわうえ駅のあった場所の近くに住んでいるのだが、近所に、当時80〜90歳だったのでないかと思われる、おばあちゃんが住んでいた。このおばあちゃんは家の屋号から「よしもとやのおばちゃん」と呼ばれていた。
昔からここに住んでおり、大正時代の沢上近辺の様子を知っている人だった。管理人がある時、伊那電の話を聞いてみた事がある。おばちゃんはこう語った。
・いま(当時)カタクラが建っている土地の敷地の西を通っていた。
・そのあと斜めに桑沢川を渡った。
・食堂「伊那路」の南の、プレハブの工場あたりに「さわうえ駅」があった。
・さわうえ駅の近くには店があった。
・いま(当時)JR沢駅の前にある美容室「かまや」は昔、さわうえ駅前にあったが、駅が移動するとそちらについて行って店も移動した。
こんなような内容の事を語ってくれた。
カタクラとはホームセンターであるが、今は既になく(2016年現在)、現在(有)伸和工作の工場になっている建物のこと。
古地図でもその他の資料でも「さわうえ駅」の所在地は現国道153号線沿いで国道の東の敷地だと思われる。伊那路の敷地も含めその近辺であろう。
美容室の「かまや」は、現在「hairworks PEACE」という名前になっているが釜屋さんが経営している。大正時代に果たしてさわうえ駅前でなにか商店を営んでいたのだろうか。当時は美容院ではないと思うが・・・・
「よしもとやのおばちゃん」もだいぶ前に亡くなってしまい、これ以上詳しい話を聞く事はもう出来ない。