05樋口兼光の支配・木曽氏の滅亡



樋口兼光 樋口に拠点を置く・木曽氏の滅亡

次郎 樋口ニ居館構ヘ 樋口次郎兼光ト改メ 山名ハ蕗原庄小野郷ニ居住ス
茲ニ亦 治承年中
[1177-1181] 鎌倉勢 諏訪合戦ノ帰路 當地方平氏 悉ク責メ 元暦元年 [1184] 木曽氏一族滅亡
次来 當地方 目代ニ於テ治ム


管理人訳:
(山名)次郎は樋口(現辰野町)に館を構え、「樋口次郎兼光」と名を改めた。山名(兼義)は蕗原庄の小野郷(現辰野町・塩尻市の小野)に居住した。

治承年中(1177年〜1181年)に鎌倉の軍が「諏訪合戦」の帰路に当地の平氏をことごとく攻めた。

元暦元年(1184年)木曽氏の一族が滅亡した。
それ以来当地方は目代(代理として派遣された私的な役人)が治めた。


※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など