神主伊東左近 三日町へ
大出之郷神主ハ往昔ハ伊東左近と申 子孫 寛文年中 [1661-1673] 迄 右近と申 古城ゟ午の方ニ 今 河原垣外と申所検地 居住在 引移住ス 其後 子孫 三日町ニ曳移リ御朱印地之神主と成 今 鳥山左近ト申なり 右近為名跡 弟子善太郎と云者 神職仕所 無実子 手良郷ゟ小池筑後ト云者 養子仕 其子山城ト云
※赤字は管理人が加えた注釈や西暦など
管理人訳:
昔、大出の神主は「伊東左近」という者だった。「伊東左近」の子孫は 1661年から1673年までの寛文年間まで「右近」といった。古城の南の方に、現在「河原垣外=かわらがいと」という検地もされた土地がある。ここに移ってきて居住していた。
その後、子孫は三日町に移り、朱印地の神主となった。いま(1770年)「鳥山左近」と名乗っている。
「右近」の家は名跡だったので、弟子である「善太郎」という者が神職を継いでいたが、「善太郎」には子供が無く、手良から「小池筑後」という者を養子にした。「小池筑後」の子は「山城」といった。
管理人考:
・往昔=おうせき・おうじゃく=遠い昔
・午=南
・朱印地=江戸時代,朱印状によって領有が認められ、課役・年貢を免除された寺社領。
・名跡=みょうせき=跡を継ぐべき家名
・垣外=かいと・がいと=村落の囲いの外
「河原垣外」ということは、村の外縁部であり、古城の下の天竜川の河原と同じ面の土地だろうか。古城の南とあるので現在の「大出城跡(里小屋城)」の下あたりから古城の大手方面なのか。
⬇︎ 写真は古城大手を登った所にある「神主の墓地(伝説)」
「伊藤家」「筑後」「山城」などの文字を見ることができる。