『箕輪記』宮下粛 天和4年 [1684]
※読みやすい様に管理人が箇条書きなどを加えています。
藤沢頼親の出自
去れは伊那郡中には
・下条 吉岡の住
・松岡 市田の住
・小笠原 松尾の住
・坂西 飯田の住
・知久 神峯の住
等も比肩せり
天文中には藤澤四郎頼親と申てける
注釈:
世に藤澤の系図を傳へて 頼親は諏訪ゟ養子せし由見えたり 心得られず 頼親が父は頼継と云ひしにや 市野瀬氏に給はりし書に頼継見へたるよし 友人星伯有語りき 其書は今 横川村に所持するなり また古書に頼形なと見ゆるも 其父祖にそあるべき 藤澤氏の系図に頼形頼継の見えさるはおほつかなし
二木寿斎記に頼親六千貫を領すとあり
管理人訳:
伊那郡の中には、
・下条氏 拠点は吉岡
・松岡氏 拠点は市田
・小笠原氏 拠点は松尾
・坂西氏 拠点は飯田
・知久氏 拠点は神峯
などもいて、藤澤氏と肩を並べていた。
天文中(1532〜1555年)には「藤澤四郎頼親」という人物がいた。
注釈
世間に伝わる藤澤氏の系図には「藤澤頼親」は「諏訪」からの養子であるというものがある。これは納得がいかない。「藤澤頼親」の父は「藤澤頼継」と言って「市野瀬氏」に送った書に「頼継」の名前がある。友人の星伯有が語った。その書は、今、横川村に存在する。また古書に「頼形」などいう名前が見えるが、これも祖先であるのだろう。藤澤氏の系図に「頼形」「頼継」の名前が見えないのは心もとない。
「二木寿斎記」には、藤澤頼親は6,000貫を領した、とある。