たのめの里

たのめの里・たのめの森 所在地:辰野町・塩尻市


『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆


たのめの里

小野は、たのめの里という。平安時代、藤原氏全盛のころの「清少納言記」にも、

 しなのなる 伊那のこほりと思ふには 誰かための里と いふらん 夫木集

たのめとは、どういう意味か知らないが、とにかく、古く知られた、いわくのある所だったらしい。[p3]

唯一の一里塚

 伊那の谷の北、つまりここの水は太平洋に流れるが、峠の北の水は日本海へ流れる。峠といっても知らぬ間に頂上に出るような平原の峠である。汽車はここをくぐって塩尻に出る。うとう峠という。南北一里、細長い谷に東西も約一里の谷が十字に交わった高原が、小野の里である。海抜八百五十米、東へゆるい坂を登って勝鉉「かっつる」をこえると岡谷に出るし、少し南のしだれ栗のある三沢峠を超えると岡谷の南に出る。昔の中山道はここを通って、小野の南端から西に、木曽に出る。上伊那で一里塚の形がそのまま残っている所はこの街道だけだ。

しだれ栗は群生しているが、小粒の栗の種類をまいても必ず垂れ栗になるとはかぎらないとのことである。形の美しい愛らしい木の姿である。

 山あいの西の空は木曽に通じて明るく、中山道を馬にゆられながら旅人はどんな気持ちで山あいに入っていったのであろうか。千米の手首峠をこえると木曽の桜沢か、にえ川に出る。さる年、部分的な集中豪雨が横川川の奥に降って小野村境の小野川と横川川合流点が荒れた時に、川をわたれるのは川島の渡戸から上であった。

昔の道の本通りは、小野から木曽へ向かって入った中村から飯沼峠を超えて、川島の郵便局辺に出て、横川川をわたるのが、本道だとの話、川の荒れたのをみて、なるほどと思った。

 山の上から、小野の里をみるとなだらかな平原に所々おきわすれたような島山がある。ひょうたん塚とかいうが、塚ではなく、やはり、自然に出来た、島山である。小野の町の裏山、古松を背景にした風景、他では一寸みられない、宿場の豪壮な民家の家なみは、時々映画の背景に使われるらしい。[p3]

里が争いで二分

 このせまい小野も南北二つにわかれている。いつも水のない、から沢を境に北は筑摩で、南は上伊那。天正十九年 [1591]松本藩飯田藩が争いのため南北二つにわかれて、今日まで学校はひとつだが二郡にわかれている。秀吉の天下統一のころのことである。

また、おかしなことに、北の他郡の筑摩他村に、小野神社があり、地続きの南に、矢彦神社。小野神社は諏訪の明神様をまつり、矢彦神社は出雲系の国土神を祭っている。汽車で見える見事な森は一つだが、中には二つのお宮がならんで、豪壮な建築が立ちならんでいる。[p4]


北小野にある小野神社、この森を頼母の森という。

神楽歌に、

 日は照れど かさ着てまゐれ 小野の森 小笹の露は あめにまさるぞ

この森はちょっと他にみられない大自然林をなしている。善知峠からおりて来る道はこの森の前を通る。[p4]


関連項目:たのめの里小野神社・矢彦神社合地の宮・合図の宮上田城・畑ヶ中川鳥城草野の古城小野の東山道