箕輪 地名の由来


『伊那の古城』篠田徳登より  昭和39〜44年執筆


 箕輪とは、城下のことをいうそうだ。古城がこの大出沢村だとすると、箕輪の名の発祥もこの辺(大出・沢)からかも知れない。飯田の近藤氏が大出と沢との間に古城をかまえ、その城下に、町家を作り、市場をもうけた。城の下の居館などのある所を山下(さんげ)、小屋、みのわ、などと云ったそうだ。古城の高さ約二十五米の斜面一帯を郷士窪といい、一面に青木林と欅、その間に民家や寺の屋根が点在いる。[p63]



『百科事典マイペディア』webより 株式会社日立ソリューションズ・ビジネス

https://kotobank.jp/word/箕輪-392108

 箕輪(みのわ) 中世の豪族屋敷を中心とし,そのまわりに農民が住んで発達した集落。関東地方に多くみられ,これに由来する地名も少なくない。→根小屋


 根小屋(ねごや) 根古屋とも記す。日本中世の集落形態の一つ。豪族の館を中心として山や丘陵の麓に発達した集落。戦時は山城に詰めるため,根小屋集落は平時の住居であった。呼称は地域によって異なり,薩摩では麓,肥後では拵(かこい),中国・四国では土居(どい),山下(さんげ),関東では堀の内,堀籠(ほりごめ),根小屋,箕輪(みのわ),寄居(よりい)などと呼んだ。



『ブリタニカ国際大百科事典 小項目辞典』webより ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

https://kotobank.jp/word/根小屋-111224

 根小屋(ねごや) 根古屋とも書く。日本の中世に発達した豪族屋敷村に起源をもつ集落。中世の名主や地頭などの居館は主として丘陵や台地の先端などにあり,そのふもとにあたるところに,これを囲んで家臣団その他の従属する人々の集落が形成された。


 豪族屋敷村(ごうぞくやしきむら) 日本で中世に成立した集落の一つ。荘園内の有力な名主 (みょうしゅ) たちによって開拓が行われ,名主の屋敷を中心にその家族,血縁関係者および下人や奴婢などの集団で形成された。館,根小屋 (根古屋) ,堀ノ内,箕輪,寄居などの地名をもつ集落のなかにこの種の屋敷村が多い。


 堀ノ内(ほりノうち) 中世の土豪の屋敷跡。広大な敷地の周囲に防衛と農耕用に堀をめぐらしたので,この名が起った。また堀の内側には掘上げた土を積んで土居 (土塁) をめぐらしたので,土居ともいわれる。現在関東地方などに残っている堀ノ内 (東京,杉並区の堀ノ内など) という地名の多くは,その跡を示すとされる。



『日本の地名がわかる事典』webより 講談社

https://kotobank.jp/word/根小屋-111224


〔千葉県〕箕輪(みのわ)

箕輪(みのわ)〔茂原市〕
箕輪(みのわ)〔柏市〕
箕輪(みのわ)〔君津市〕


〔埼玉県〕箕輪(みのわ)

箕輪(みのわ)〔さいたま市岩槻区〕
箕輪(みのわ)〔熊谷市〕


〔大阪府〕箕輪(みのわ)

箕輪(みのわ)〔豊中市〕
箕輪(みのわ)〔東大阪市〕


〔栃木県〕箕輪(みのわ)

箕輪(みのわ)〔那須塩原市〕
箕輪(みのわ)〔下野市〕


〔茨城県〕箕輪(みのわ)

箕輪(みのわ)〔鉾田市〕
箕輪(みのわ)〔つくばみらい市〕