伝兵衛井 関連地:辰野町/箕輪町
『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
(羽場の)城の腰を流れていく井水は、小橋川の水をあげて、延々二里半、南の松島までの田用水を運んでいる。土地の人は伝兵衛井と呼んでいる。[p34]
『長野県 web site』農業用施設の歴史と文化より
水争い歴史から地域の水へ「東天竜・伝兵衛井共用頭首工」(辰野町)
上伊那郡辰野町を天竜川に沿って北上すると、岡谷市に入る手前で、美しい曲線を描く自然石張りの固定堰が視界に入ります。この固定堰は「伝兵衛井筋」「東天竜用水」の「共用頭首工」で、右岸と左岸の両方に取水口があります。
右岸の「伝兵衛井筋」は、西井筋、上堰、上伊那井筋とも呼ばれ、上伊那地域の水路開発に尽力した伊東伝兵衛が開削した伝兵衛五井と呼ばれている用水路群の1つで、安政6年 [1859] に完成したといわれています。
左岸の「東天竜用水」は、東井筋、上井筋とも呼ばれていましたが、大正年間に西天竜用水が完成してからは、現在の呼称が一般的になりました。安政3年 [1856] に完成したといわれています。
東天竜用水の取水口は、当初、現在の位置より約100m上流に設けられていましたが、大正8年から始まった西天竜用水の開設に伴う取水量減少の対策として、昭和2年に伝兵衛井筋の取水口の対岸に移設され、現在の共用頭首工となりました。取水口の移設後も、西天竜と東天竜の間には水争いが絶えず、問題の解決には昭和44年 [1969] に東天竜用水の補給水確保のために築造された荒神山温水ため池(たつの海)の完成を待たなくてはなりませんでした。水田の灌漑用水として開削されたこれらの水路ですが、現在では防火用水や環境用水などにも利用されており、地域に欠かせない水として今日も満々と流れています。
管理者:辰野町東天竜水利管理組合、下辰野区