『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
頼親は信玄に一応は降参したものの深志の小笠原氏とは義兄弟であり、いつ甲州のためにやられるか分からない不安もあって天文二十年 [1551] からの二年間、長時の中塔(南安梓)籠城に加わっていたが、ついに守りきれず二十一年 [1552] の十二月晦日の夜、長時らと共に逃げて越後にいってしまった。[p47/48]
新蕗原拾葉/地域の歴史資料をアーカイブ・閲覧ライブラリー by 柴徳昭
『伊那の古城』篠田徳登より 昭和39〜44年執筆
頼親は信玄に一応は降参したものの深志の小笠原氏とは義兄弟であり、いつ甲州のためにやられるか分からない不安もあって天文二十年 [1551] からの二年間、長時の中塔(南安梓)籠城に加わっていたが、ついに守りきれず二十一年 [1552] の十二月晦日の夜、長時らと共に逃げて越後にいってしまった。[p47/48]